「実存からの冒険」 

西研 ちくま学芸文庫

〜生きる道具としての哲学〜



これを「テツガク」の本だ、と思う必要はない。
なんか人生つまんないぞ、とか、いろいろ不安だよ、と思ってる人なんかが読むと面白いと思う。
もちろん元気な人が読んだっていいけど、そんなに感動はしないかも。

「哲学」って、本質的には「流行」ったりするもんじゃないと思うんだけど、でもちょっと流行ってる気がする。
「哲学」って名乗ってなくても、生き方を考えるっていうような本は哲学書に分類してもいいかもしれない。あまり功利的になりすぎてるとちょっと疑問だけど、売れてる読みやすい寓話なんかもそこに入るかも。
世紀末には宗教が流行った。新世紀を迎えても、明快な真理のある時代には戻らない。「哲学」が流行るのは今の自分の状況が見えないからだろう。人は寄って立つ所を求めるのだ。
最近の「哲学入門」みたいな本は、そのこと自体を扱ってることが多い。つまり、生きるためのツール(道具)の一つとして、哲学を提示しているのだ。なんていうと、軽い感じだけど、実際哲学ってそういう学問だ。この本を読むとますますそう思う。

この本は、彼の実存主義哲学の読み方を通して、(なんて書くとまた堅っ苦しいなあ。彼の考えの軌跡を通じてって言ったほうがいいか)こんな風に考えればいいんじゃないか、と話しかけてくれる。かなり読みやすい。
区分としては実存主義入門みたいなところだけれど、ここで彼が目指してるのは「どこにも行けない時代」に属してる私たちが、苦しくなく生きるためにはどうしたらいいのか、どう考えたらいいのか、ということの一つのきっかけになることだ。
そのために、ニーチェやハイデガー、フッサール、ヘーゲルなどの考えが紹介される。

特に初めのニーチェの部分はこなれてて読みやすくて面白い。
ハイデガーのとこでは苦労したけど、解説でもここは見劣りがするって書いてあったのでちょっと安心した。哲学初心者にはちょっとわかりづらいかも。
ポストモダン批判は、なんとなくわかるけど、食い足りない感じも残る。もう少し読みたい。

いつの時代も同じようなことを人は考えてる。
自分をどういう存在として認識するかってことだよね。
それは言い換えるとうまく生きるための技術だったりすると思うんだけど。
その時代に即した回答を哲学者は出していくような気もする。
普遍性のある思想は古びない。ただし、私たちは今までの人が考えてきたことの上に立ってその先を考えることが出来る(はず)。ここでは、世界とどう向き合えばいいのかっていう問いに答えるものとしてそれぞれを読んでくから、かなりわかりやすい。
そして、最終的に希望が語られる。元気になれる哲学だ。
それがどういうことか、というのは、ここで一言で表すと意味がない。(というより自分がそれが出来るとこまで到達してない)ので、ぜひこの本を読んでみて欲しい。

以前に読んだときは何をどう感じたのか、ほんの少ししか覚えていない。
読みなおして、ワタシの「実存」はサルトルで止まってたよ、とか、ニーチェについては何冊か読んだはずだけど、全然わかってね―じゃねーか、など新鮮な情けない感想を抱いた。
でもいいのだ。きっと今の私に必要だから、こんな風にわかったり発見したりするのだろう。

巻末に読書案内があって、おすすめの文献や原典が示されている。
なかなか原典までは行けないけど、西研の考えは彼なりの読み方。
いろんな人の読み方を知って、自分が使えそうな考えを取り出す、というのが素人のとりあえずの賢明なやり方ではないかな。あまりに恣意的な読みにはまると、宗教と一緒だしね。

ちなみにこの本が書かれたのは1989年だから、今から10年以上前だ。内容は古くないと思うけど、彼自身の考えも変化したり深まったりしてるだろう。思想って時代と共にあるものだと思うから、最近の動向を知るのも大切かもしれない。
何か読んだらまた報告します。

でもとりあえず、竹田青嗣「自分を知るための哲学入門」も再読してみよう。

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