「 停電の夜に 」

ジュンパ・ラヒリ(新潮社クレストブックス)


「うまい」作品の効用


売れる装丁、新潮社クレストブックス(「朗読者」の)の1冊。
これもかなり売れている様子。
読み終わって裏表紙をみると、偶然、堀江敏幸の推薦文が。ちょっとびっくり。
華麗な受賞歴を持つ短編集。
ピュリツァー賞、O・ヘンり賞など。
彼女はこれがデビュー作のインド系作家だ。

日本人の書いたものばっかり読んでいる。
外国文学は訳者を通す手触りのざらつきに最初にきしみが来る。
民族性の違いの違和感もよくある。
しかし、最近手にとって見ると
同時代の作家のものは特に生っぽく感じるようになった。
一番は訳文の変化。
二番は思うほどの違いが日本と他国になくなっているということか。
訳については、やはりその人の癖が出ることは間違いなくて、
村上春樹の訳した本や天沢退二郎の訳書などは、
本人の作品を読むのと似たような気分で読んでいるのだが、
最近は平易な言葉で訳しているものが多いので、
作家でなく翻訳家が訳したものであっても
すっと懐に入り込まれたような気になれることがある。
これが訳のせいなのか最近の作家の傾向なのかは、
語学ができない私には判断できないのが残念なところだ。

この本もうっかり通勤途中で読み始めたらその世界が近くにきてしまって困った。駅から会社までの道を作品の気分を連れたままで歩く。危ない。
O・ヘンり賞が「なるほど」って感じの、まあとにかく「うまい」作品群だ。こういうのあんまり読んでないのだ。基本的に短編より長編が好きだし。しかし、シチュエーションコメディって、起承転結はっきりした大河ドラマっていうよりは、人生をうまくきりとって見せた短編小説に近いかもしれないな。うちの芝居なんかも。
それでつまり、「うまい」ってことはかなり価値が高いことだな、と改めて認識させられたという話なのだった。きちんと心にあしあとをつけていくのだ。うまい作品やうまい文章は。揺らされるのは快か不快かわからないけど、まあ、揺らすためにあるのだからね、小説なんて。世の中にはたくさんの小説があって、普段読まないようなものを読むと、小説とはなんだろうと考えてしまったりしてくらくらするのだった。

ちなみにこの本はくらくらするような特殊な本ではない。(あくまで個人的な話だ)さまざまな人生をきりとって私たちに提供する職人の仕事。新人の筆とは思えないが確かに同時代性も感じさせる優れた仕事といえるだろう。

活字ならなんでも飲み込んでしまう自分でよかったなという思いが半分。あんまり間口広くしてると人生読書だけで終わってしまうのではないかという危惧が半分。
日々読書のおかげで発見の日々。

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