「 子規からの手紙 」

如月小春(岩波書店)

〜都市のつぶやく声〜


巻頭に置かれた正岡子規の漱石に当てた手紙。
ここから豊かな物語の予感がある。これを契機として話を書き始める気持ちがよくわかるような。
そして、冒頭部を読み終わったとき、大きな物語がうねり始めるような期待感を持った。
しかし、物語は圧倒的なストーリーには向かわず、断章的な形を取り始め、変転してぱさりと終わっていく。作中のテレビ番組のように。
私のつぶやきは都市の中をさまよっている。物語に解消されることもなく、誰かと共有されることもなく。

漱石と子規の関係と、その定義付けは面白い。
疑問があるとすれば、ちょっとわかりやすい言葉で説明しすぎているような気がするところか。
だからちょっと浮いてしまう。空気が薄くなる。つくりものみたいに。
もしかしたらそのフェイク感も計算の内なのかもしれないけれど。(何しろテレビなのだから)

如月小春は都市の表現者だ。
彼女の都市についての文章を読むと、その場にぴったりとなじんで息をしているのが感じられる。
日野啓三と似た匂いがする。東京という都市に土着する人間。
世紀末を越えて新しい時代が始まっているけれど、都市の空気はまだ変わっていない気がする。
若者には既に全然違う風景が見えているのかもしれないが、私にとってはこの作品世界はまだリアルな都市の手触りを持っている。
リアルな都市の手触り?
しかしそれは10年を越えて東京に住む私に見える現実の風景ではない。
その奥に透ける心象風景としての感覚に過ぎないのだが。

そこに重なるような重ならないような漱石と子規。
自分なりに二人を読んで考えてみたいような気にさせられた。


著者の如月小春は劇作家。昨年だったか急逝している。(本格的に再始動しようとしていた矢先らしく、早い死が惜しまれていた)
「NOISE」という劇団で活躍していたころは、パフォーマンスという言葉が流行った時代で、その言葉と重ね合わせて評論されることが多かったように記憶している。映像と舞台のコラボレーションなど、当時としては新鮮な試みをしていたはず。(一度だけ見た舞台はなかなか刺激的で、「ことば」にこだわっているという印象を持った。)

タイトルと同名のテレビ番組を作るという趣向の話だが、実際「子規からの手紙」というテレビドラマが放映されているらしい。この小説と作中の番組と実際の番組というのはどのような関係にあるのかが読み終わると気になる。