「ふたりのイーダ」

松谷みよ子(偕成社・講談社文庫)

〜「つくりもの」でないファンタジー

 「イナイ、イナイ、ドコニモ……イナイ……。」
 つぶやきながらお堀端をコトリ、コトリと足を引きずるように歩いていく椅子。
 ―ゼリーだ。空気がゼリーになっているんだ。……

 直樹は妹のゆう子とお母さんの実家の花浦に来て、歩く椅子に出会う。
 椅子はおじいさんと女の子の帰りを待っている。遠い「キノウ」にいなくなった二人。
 「6」で止まった古い日めくり。
 待ちつづけるうちに椅子は動き始めた。
 椅子はゆう子を、待っていた「イーダ」だという。ゆう子はイーダの生まれ変わりなのか?
 直樹は真実を調べ始めるが…。

 子どもの頃、冒頭に書いたシーンが強烈で、強く印象に残った。
 現実に起こり得ないことという意味で、この物語は正しくファンタジーだけれども、ひどくリアルな手触りがある。それは、松谷みよ子にとって、この話が「つくりごと」でないからだろう。
 今でも暑い夏の日に、空気がゼリーになっているんだ、と感じることがある。松谷みよ子は表現も非凡な作家だ。

 この話は「直樹とゆう子の物語」の一作目で、広島の原爆がテーマになっている。といっても、他の作品同様、作者は声高にテーマを押し付けてはこない。「原爆もの」とか「反戦もの」というくくりで見てほしくない作品である。この作品全体が静かにメッセージを発しているとしても。

 親本のあとがきが、子どもの私には理解できず、しかし衝撃的だったのだが、今にして思うと、作家の作品との向き合い方をはっきりと示している。できれば、あわせて読んでみてほしい。

 大学の頃、広島の記念公園で被爆者の人と出会って、案内をしてもらった。語ることが自分の仕事だと思っているとその人は言っていた。その体験と同等の価値がこの作品にある。
  

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