11 月


11/16(金)

公演で配る新聞の編集でちょっと寝不足。
こんな日は寒い方が目が覚めてありがたい。
今朝はその空気のせいか,ふと,この一節が浮かんだ。
「あきのひの ヴィオロンの ふしながき すすりなき」
有名なポール・ヴェルレーヌの詩だ。
高校の頃に友達に教わって詩集を読んだ。
その時に薦められたのは橋本一明訳。
ヴェルレーヌは上田敏堀口大学訳が有名だけど,
橋本訳は,それらとは随分違うという意味で,
発表当時はインパクトあるものだったようだ。
口語訳ですね。
同じ歌を並べてみると,確かにずいぶん感じが違います。
(ちなみに私の記憶は微妙に上田堀口が混ざってましたね)
よく比較されるけど、並べてみよう。どうですか。

落葉 (上田敏訳)

秋の日のヴィオロンの
ためいきの身に染みて
ひたぶるにうら悲し

鐘のおとに胸ふたぎ
色かへて涙ぐむ
過ぎし日のおもひでや

げにわれはうらぶれて
ここかしこさだめなく
とび散らふ落ち葉かな


秋の歌(堀口大学訳)

秋風の
ヴィオロンの
節ながき
啜り泣き

もの憂きかなしみに
わがこころ
傷つくる。

時の鐘
鳴りも出ずれば
せつなくも胸せまり
思いぞ出ずる
来(こ)し方(かた)に
涙は湧く。

落葉ならね
身をばやる
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風(さかかぜ)よ。


秋の歌 (橋本一明訳)

忍び泣き ながくひく 秋のヴィオロン
ものうくも 単調に 僕の心を いたませる

時告げる 鐘の音に 胸つまりあおざめて
過ぎた日を 思い出し 僕は泣く

性悪の風に吹かれて ぼくは行く
ここ かしこ 吹き散らう 落ち葉さながら

ヴェルレーヌって言うとセンチメンタルの代名詞のように
イメージする人も多いかもしれないけど、
なかなかよい詩がありますよ。
やっぱ、現代訳で読んでみてね。

11/15(木)

松本の話の続き。

この前,中央線の電車の中で,
いきなり「アルプス公園」ということばが
耳に飛び込んできてびっくりした。
いろんなところにありそうな名前だけど,
松本にそういうところがあって,桜も多く,
学生の新歓コンパなどではよく利用されているのだ。
この辺でいうと井の頭公園?(ちょっと違うか)
つい話を聞いてしまうと,長野のお医者さんのようで,
次々と懐かしい地名が会話のなかに出てきていた。

ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

はっきりした方言のある地方の人は,
この石川啄木の短歌の感覚ってよく
分かるんじゃないかと思うけど,
訛りじゃなくて地名一つでも,
ずいぶん懐かしい気持ちになってしまうもんだね。

方言というのはやわらかみや独特の肌触りがあってよいものです。
芦原すなお「青春デンデケデケデケ」(河出書房新社等)
などを読むとそのことが強く感じられる。


11/14(水)

毎年公演はこんな空気が冷たくなる時期。
今朝は会社へと急ぎながら,ふと,
萬スタジオの前を稽古着でばたばたと走る自分を思い出した。

会社は中央線沿いで,私のいる3階は窓の横を電車が通る。
大学が松本だったので,最初のうちは,
ふと外を見ると不思議といつも特急が走ってて,
「あー,あのあずさに乗って松本に帰りたい」と思っていた。
信州というのは文学青年が憧れる地のようで,
本当に土地に惹かれてうちの大学に来たような人もいた。
北杜夫や辻邦夫(亡くなってしまいましたね)が,
大学の前身の旧制松高を出ているせいもあるかな。
北杜夫「どくとるマンボウ青春記」(中公文庫他)
は,その時代のことを書いて,
多くの文学青年の憧れを誘ったのではないかと思われる。
「幽霊」「木霊」(新潮文庫)なども,叙情的な作品で,
特に夏の信州の高原に行く折などには読んでみるのもおすすめ。

11/13(火)

ハリーポッターの映画の男の子を見たら,
確かに私の服とよく似たマントでした。
昔から,ファンタジー好きだったので,
子どもの頃は,マントみたいなものを着て,
その気になって満足していたような記憶がある。
魔法使いといえば箒とマント?

日本の魔法使いとも思える陰陽師。(強引な展開)
岡野玲子のマンガで爆発的なブームになり,
ドラマ化も映画化もされてますね。
夢枕獏の原作はブームの前に二冊読んだだけで止まってます。
今度改めて読んでみよう。
公演前なのですぐにというわけに行かないのが
つまんないとこですが。
映画の主役は野村萬斎。
(ドラマはあの吾郎ちゃんだ。一回見たけどちょっとヘン。)
「あぐり」のエイスケさんで,人気沸騰した狂言師です。
先日ここに書いた友達のサイトは,
「陰陽師」の映画公開の影響でアクセス数がふえたとか。
リンクのお許しをもらったのでもう一度紹介しておきましょう。
「東京だるま大学」
狂言についてのまとまった分かりやすい解説や,
最近の公演のレビューが見られます。
狂言掲示板もうちの演劇掲示板に負けず、
濃い展開です。
個人サイトなので,その他いろいろなコンテンツがあり。
リンクしておきますので興味のある方は一度。

http://www.af.wakwak.com/~forellechen/

11/12(月)

あまりに薄ら寒い天気なので、
まだ早いと思いながら黒のロングコートを着る。
何故か清水の舞台から飛び降りてしまった、
私としては破格のデザイナーズものだ。
でも、買って以来、誰かにこの服について
コメントされたことがない。
身に合わないか、馴染んでるのかどっちでしょう。
と思ってたら、
今日初めて声をかけられました。
ハリーポッターみたい」と。
…ふーむ。
よれよれだったからかも?(大切にしろ)

よれよれしてる私だが、
ファッションエッセイとかモノに関する話とか、
読むのは好きなほうだ。
わが身に生かされないところがなんとも言えませんが。
人気の光野桃のエッセイは、
文章がなかなか上質。
おしゃれ関係中心だと、「私のスタイルを探して」(新潮文庫)、
家族の話を中心にした「実りのある季節」
大人の人にも読ませられる。
って、今かいてて思ったんだけど、
大人の人って誰?
自分はなんなんでしょうね、ほんとに。

五木寛之「小さなもの見つけた」とか
「僕の見つけたもの」などの、写真つき小エッセイも、
ちょっとした時に見るのにはおすすめ。

現在公演前につき休業モード。
内容なくてすいません。


11/9(金)

昼。ひどい雨降り。
会社でご飯を食べながら,友人のHPを覗く。
公演案内を出したら久しぶりに連絡をくれた彼女は
高校時代の友達。
狂言にはまっているらしい。
個人のものなのにカウンターはうちの劇団とそう変わらない。
なかなか楽しい,コンテンツも充実したHP。
確認とったらリンクさせてもらおう。覗いてみてね。
彼女も読書家らしく,
図書館で借りるだけで年に500冊以上読んでるとか。
彼女に比べれば私の読書量も中の上といったところか?

おとといの続き。
記事を読む前は,
天沢さんもハリーポッターファンなのか,
彼の眼鏡に適うファンタジーの様式だったかなあと
いろいろ考えていたが,考え損。
どうも彼はこの企画のために本を読んだらしい。
別に批判的じゃないけど,絶賛もしていなかった。
この特集自体何というか今ひとつ意図が不鮮明な企画。
天沢さんも,それこそカルトなファンが
ブームに乗じて引っ張ってきたのではないだろうか。
しかし,彼が童話の続編の構想を立てているというのは
ビッグニュースだ。
それだけでもこの記事を読んだかいがあるってもんだぜ。
「光車よ,まわれ!」(筑摩書房)では,
水が大きな役割を持っている。
こんなびしゃびしゃとした雨の日には
その世界に浸るのも悪くない。

でも,今は昼休み。
頭を現実に切り替えて残り時間で台本を読むことにしよう。


夜になっても雨は降り続いている。

天沢退二郎の本に出会ったのは中学の図書館。
熱に浮かされたような不思議な酩酊感に襲われ、
以来ずっとファンである。
私の中では常に別格の人で、
初めて彼の肉声をラジオで聞く機会が訪れたとき、
聞いてしまっていいものかどうかずいぶん悩んだ。
しかし、そこまで惚れ込んでいればそんな心配は無用だ。
おそらくどんな声だったところでがっかりはしなかっただろう。
彼は彼なのだから。
というわけで、テレビで見ても大丈夫でした。
彼は明治学院大の教授で専攻は仏文なのだが、
宮沢賢治の研究者として有名で、
賢治の関係の番組などによく登場するのだ。
ちなみに、ますむらひろしのねこの「銀河鉄道の夜」の
アニメの監修もやっていた。
(私はこの映画が好きで、一時期人を自宅に呼んでは
これを無理やり見せるという迷惑なやつだったくらい。)

天沢退二郎には、そうやってはまってしまう人が
時々いるらしい。
ダ・ヴィンチの紹介文にも
「カルトなファンを持つ童話」
「20代30代の記憶に残る児童文学の名著
『光車よ、まわれ!』」
なんて書いてあるもんね。
私だけじゃないのだ。
今度ゆっくり紹介します。


11/6(火)

久しぶりに通勤電車で新しい本を読む。
図書館で借りっぱなしてあった、
保坂和志の「生きる歓び」。
彼の文章はワンセンテンスが非常に長い。
読点で延々と続いていく。
最初にこういう文体を目にしたのは
天沢退二郎の散文詩で、子どもには新鮮だった。
保坂和志は、だから、入り口でちょっときしむ。

話は死にかけた猫を拾うだけの話で、
小説ともつかない感じなのだが、
そこに出てきた草間彌生の話とか、
「生きる」ってことに対しての考えなどが面白かった。
「生きる」こと自体を肯定することは、
生きている上では必然なんだけど、
実はそう簡単にみんなやってないのかもしれない。
草間氏の芸術活動は自分にとっては治療だという話、
そうやって表現にしないと幻想に引きこまれてしまうというのは、
実際悪夢を見たあとの現実への帰還が難しいときや、
頭がぼんやりして、世界が非現実的に見える瞬間を考えると
その感覚がわかる気がする。
子どもの頃から、幻想にひかれつつも、
それを恐れていたことを何だか思い出した。
現実と幻想については、
自分の中でまだはっきりと落とし前がついていない。
こんなに歳をとったのに。
そのことに気づいてびっくりする。

天沢退二郎といえば、今月の「ダヴィンチ」の
ハリーポッター特集で小谷真理と対談している。
明日はその話など。

なんか今日の日記は読みづらくてすいません。

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