(全号までのあらすじ) 精神の自由を求めて美容院を訪れ、ワケの分からぬまま『メッシュ』にするコトになってしまった『しゅさい』。 マダムとF子は、鮮やかなコンビネーションで『しゅさい』の頭に薬品を塗り込んでいくのだが…… 感動の超大作、待望の完結編。 私は、なすすべもなく椅子に横たわっていた。 って、あたりまえですね。だけど、想像してみて下さい。常日頃、女性にあまりさわられたコトない私が、F子に押さえられ、マダムにぬりぬりされているのだ。なんというか……まぁ、端的に言ってしまえば こっぱずかしい! のですね。背中が妙にウズウズして、身体が宙に浮いていくような感覚と言えば近いでしょうか。 試練だ……。と思いましたね。この荒行を抜きにしては、精神の自由もまたあり得ないのだ、と。しかし…… 愚かにも私は、この試練がまだほんの序の口であることを知らなかったのだ…… やがて薬品は塗り終わり、二人が離れて行く。やれやれ、修羅場は過ぎ去ったかとホッとしたのも束の間、F子が奇妙なモノを持って戻ってきた。 「……?」 キョトンとする私。F子が持ってきたのは、どう考えてもオシャレなサロンドに似合わないモノだ。それは……あの、台所の友達、『サランラップ』である。F子は手慣れた仕種でピリピリと手頃な大きさに切りとると……あろうことか、私の頭に巻き付け始めたのだ。 「むむむ、む、む?」 とっさの出来事に、呆然自失の私。サランラップは、ターバンよろしく私の頭に巻き付けられた。思わず鏡を見てしまう。それはまさに……インチキ商人に騙されて新型を巻いてしまったインド人状態。 「あの、あの、あの……」 F子に抗議しようとするのだが、不意打ちを食らった人間にまっとうな言葉が喋れるハズもない。F子は愛想よく私に笑いかけ、こう言い残したのだった。 「薬品が定着するまで、しばらくこのままでお待ち下さい」 それは、まさしく拷問であった。 一人、とり残された私は、公衆の面前で裸体をさらしているかの感覚に、ひたすら耐えねばならなかった。なにせ自他ともに認める自意識過剰人間なのだ。隣のパーマおばさんが、時々チラッとこっちを見る度に、いたたまれない感情が心を突き刺す。悪いコトに、このサロンドの壁はガラス張りなのだ。道行く人々が、人垣を作って私を見ている妄想に襲われる。ヤツらはガラス越しに私を指さし、こう言うのだ。 「おい見ろよ。あのインド人、騙されてるぜ」 嗚呼、なんたる屈辱。髪を染める事が、かくも試練だとはこの瞬間まで知らなかった。 実際には20分かそこらなのだが、永遠にも思える時間が過ぎていった。 私はヘトヘトになっていた。もはや体力も気力も限界だった。だから、「そろそろいいみたいですね」とマダムがサランラップを外してくれた時には、荒海を漂流した遭難者が岸辺に泳ぎついた気分であった。嗚呼、マダム、君は女神だ。僕は君に会うために嵐を乗り越えてここまで来たんです。(嘘だけど) しかし……。 マダムの言葉は、再び私を荒海へと突き返したのだった。 「それじゃ、メッシュ入れますね」 再び、ツープラトン攻撃。 F子が、またしても妙なモノを持って来た。10センチ×20センチ程度の白い物体。端的に言えば『紙』である。それも一枚でなく、十数枚。なんだか分からないけど、すごく厭な予感がする。 マダムは私の髪をとかすと、串先のようなモノで、髪の毛をより分け始めた。おぼろげながら『メッシュ』の意味を理解する私。つまり、ツートンカラーだ。より分けられた髪だけを別の色に染め、まだら模様にするつもりなのだ。 マダムは……F子から『紙』を受け取ると、より分けた髪に薬品を塗り始めた。厭な予感が確信に変わった。恐怖と激しい戦慄が私を襲う。 あっ、あっ、やめて。勘弁して、それだけは! 私の心の叫びをつゆ知らぬマダムは……紙を二つ折にして、その間に薬品が塗られた髪を挟み込んだ。 「あの、あの、あの、」 「動かないで!」 「……。」 私がどうなってしまったか……もう、お分かりですね。十数枚の『紙』は頭のいたる所にぶら下げられた。それはまさに……ビーズと間違えて紙をぶら下げてしまったレゲエボーイ状態。 そしてF子の言葉が、またしても私を地獄へと突き落とす。 「薬品が定着するまで、しばらくこのままでお待ち下さい」 再び、拷問の待ち時間。 妄想の中で、再び群衆がサロンドの周囲に人垣を作り始めた。ヤツらはガラス越しに私を指さし、嘲笑と共にこう叫ぶのだ。 「おい見ろよ。あのレゲエボーイ、間違えてるぜ」 私は廃人同然になっていた。 数時間の荒行は、もしかしたら私を一気に白髪化したかもしれない。と言っても、もう染めちゃったから見た目には分からんのだけど。……そうか、結果的には白髪染めで正しかったワケね。鋭いじゃん、F子。と、ワケの分からぬ納得をしてしまうほど私は廃人だった。 「それじゃ、髪洗いますんで、こっち来て下さい」 促されるままに、ふらふらと席を移動する。もう、どうにでもしてちょうだい。なされるがままの、サンドバッグ状態。私は既に枯れていた。『精神の自由』でなく、『精神の白髪』を手に入れてしまっていたのだ。 「カユいとこ、ないですかぁ?」 シャンプーでジャブジャブしながらF子が尋ねてきた。 「いえ、別に……」 なぜかドギマギする私。なんだか、いかがわしい店でサービスされてるような気がしてきた。(行ったコトないけど) ……って、下品でオヤジ的な感想だけど、でもいいのだ。普段の私なら自制心が戒めるところだが、この時は既に枯れていたから仕方ないのである。 F子に濡れた髪をドライヤーでブロウしてもらって、仕上げの整髪は再びマダム。既に枯れていた私は、開き直りの境地で、泰然自若とその作業を見守っていた。マダムに触られても、もう羞恥心はわかなかった。そして……その時、軌跡が起こったのだ。 もしかして……悪くないんじゃなかろうか。 改めて鏡を見ながら、なんだかそう思えてきた。これがメッシュというヤツなのか。栗色のベースに、明るめの茶色がいく筋もラインを描いている。そして髪がゆれるごとに、そのラインが見え隠れして、鮮やかにコントラストを際立たせていた。普段のバカづらとは、明らかに違う。 悪くない。いや、もっと積極的に『カッコイイ』と言ってもいいだろう。 凄いぞメッシュ! 私は、身体が軽くなったような気がしてきた。 「いかがですか?」 最後の仕上げを終えたマダムが尋ねた。 「サンキュー。気に入ったよ」 私は即座に答えていた。てらいなど一片もない、自信に満ち溢れた言葉。私は変わりつつあった。そうして、流れるような仕種で席を立つ。その姿は、まさに『サロンドに慣れたヤツ』だ。私は、ハッキリと自覚した。今まさに心の呪縛から解き放たれ、『自由』を手に入れたのだと。 「ありがとうございました」 支払いを済ませ、店外へ向かう私をF子が見送ってくれた。私は軽く片目をつぶってみせた。そうして、 「またたのむぜ」 そう言って、颯爽とサロンドを後にしたのであった。 以下、余談。 世の中に、『思い込み』と『勘違い』ほど恐ろしいモノはない。 私はおそらく、その後数日に渡ってマダムとF子に笑いのネタを提供してしまったと推測されるが……それは別の話。 付け加えれば、私の勘違いは後日稽古場に出かけ、役者に「悪いモノでも食べたんですか?」と聞かれるまで続くのだが、それもまた、余談。 ともあれ私は『精神の自由』を手にいれていたのだ。 サロンドを後にした私は、春の夕闇の中を威風堂々と歩いていた。そして歩きながら少しだけF子のコトを考えていた。 もしかしてF子……私に惚れてしまったかもしれないな。 あり得ないコトじゃない。いや、きっとそうだ。最強メッシュを装着した私を見てしまっては、惚れてしまってもそれはF子の罪じゃないのだ。 「ケータイの番号くらい教えてやってもよかったな」 と私は考えていた。そうしてメッシュの髪を風になびかせながら夕暮れが迫る町並みを見下ろし、こう呟いたのだった。 「次は、エステにでも行ってみるか」 (了) |