「セリフのイメージ」と「カラダのイメージ」



昨今いろいろなところで稽古をしていてよく思うのは、本読み(テーブルを囲んでの、いわゆる「読み合わせ」)の段階ではわりと上手な方なのに、「立ち稽古」の段階になると途端にデクノボーになってしまう役者さんが少なくないってコト。初心者ならいざしらず、結構ベテランになってもこの手の問題を抱えた方がいらっしゃるのだ。これ、会話劇のコメディをやるには、ちょっと由々しき問題なのです。

「カラダのイメージ」がないからなのだ。
このセリフはこういう喋り方をしよう……てな「セリフのイメージ」はあるのだが(だから「読み」の段階ではそれなりに上手く読んだりできるのですが)、それを喋っている自分の「カラダのイメージ」がない、ってことなのです。


例えば、こういう命題があります。
セリフを貰った役者が、「立ち稽古」の段階で最初に何をするべきなのか。

初心者に近い役者さんの場合、いわゆる「気をつけ」のような棒立ちのカラダで一生懸命セリフを読まれたりします。
少し慣れた方だと、喋るセリフにあわせて、とって付けたような「動作」をプラスします。(例をあげると、「俺、三人の妹がいるんだよ」というセリフで、「三人」と喋るところでおもむろに指を三本立てたりします)
もう少し進むと、セリフにあわせて、まあそれっぽい「所作」を加えてくるのですが、

誤解を恐れずに言えば、この三段階はステップアップでもなんでもないのだ。この手順でやっているうちは「演技」というヤツはちっとも上手くならんのですよ。つまり、「セリフをイメージして、そこに所作を足していく」という手順がいくら上手になっても、セリフは生きた「言葉」にならんってことで。


人が何か喋る時、まずカラダが変わって、追っかけで言葉が出てきます。どんなに口から先に産まれてきたヤツだって、喋り始める前に先行してカラダが変わります。目に見える動作(所作)は言葉に遅れるケースもありますが、まずは彼・彼女のカラダの内面が喋りたいカラダになって、それから言葉が出てきます。(特殊な例外はあり)

だからまずは、「カラダを探す」ことから始めるべきだと思う。そのセリフ(言葉)を喋りたくなるカラダのイメージを持って、それを実際に稽古場で相手役と確認していく。当然、すぐにうまくいきっこないけど、でも探す。手がかりになるのは、その場にいる時の「意識」とか「視線」、あるいは「ブレス」、相手との「距離感」などなど。
モチロン、それをやるためには「本読み」の段階から(あるいは稽古前に一人で台本を読む時に)どんなカラダで、その「セリフ」を喋っているのか、あるいは相手の言葉を聞いているのか……を充分にイメージしておいて、で、実際に稽古場で「立って」探してみる。

ついでに言うと、「セリフのイメージ」は、モチロン必要なのだ。でもそれは、結果的にそう喋れる完成形のイメージとして、(実際の演技の際には)ひとまず意識の外に置いておくべきで、
カラダのイメージがうまく自分の身体に落ちて意識が繋がって、
結果的にイメージ通りの言葉が出てくる、その確認のために使うべきなのです。


なんて、言葉で説明するのは簡単ですね。実際にやるのは難しいです。おそらくは結構ベテランの俳優にだって難しい。(技術も必要だし)でも、そういうコトを常日頃から考えて稽古するのとそうでないのとでは、長い目で見て大変な違いになる……とは思うのですよ。これはマジで。


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