千と千尋の神隠し
邦画・吉祥寺プラザ(鑑賞 01年12月26日)

やっと観れました。実は夏の終わり頃に二度程トライしていたのですが、二度共「もう最終まで満席です」との張り紙にあえなく撃沈。とぼとぼと帰ってきた苦い思い出があります。劇場で宮崎アニメを観るのは『紅の豚』以来。久しぶりに懐かしいヤツに会って来た気分です。

神話のようなお話でした。もちろんベースは『神隠し』なのだし、『八百万の神々』が出てきたりして題材も日本神話なのだけど、それ以上にお話そのものが。
小さな町に越して来た父母と千尋。冒頭、日常の世界が淡々と描かれる間はなんだか退屈な導入だと感じてしまった。この両親、どうにも愛されない描かれ方だなぁと思っていたら、突然豚にされてしまってビックリ。まるでグリム。気がついたらどっぷり猥雑な神話の世界で(東南アジア的というべきか?)気がついたらストーリーに一気に引き込まれていて、気がついたら2時間15分。やっぱり宮崎さん、うまいなぁと唸ってしまう。

観終わって素直に感じたのは、これ映画(2時間)向きのお話じゃないんじゃないかという事。結構削られたエピソードが沢山あったんじゃなかろうか。あら捜しじゃないけど、あの『ハク』という少年(神?)が、なんで魔女と契約してまで魔法を欲しがったのかは最後まで描かれていない。怖い怖いゼニーバの家からの帰り道もハクが迎えに来てあっさり解決してちょっと拍子抜け。最初は邪魔者扱いされていた千尋が最後は人気者になってしまうのも、ちょっと強引。せめて3時間の尺があればね。でも劇場公開で子供にも見せるとなると、やっぱつらいかな。

もちろんそれは「もう少し長く、この世界に浸っていたい」という観客としての欲求の裏返しでもあるワケで……2時間強の時間を短く感じさせる宮崎マジックの勝利なワケです。でも、これ13話くらいの連続ドラマにしてくれないかなぁ。それだけ魅力的なキャラやエピソードに満ちているのにさ。個人的には『もののけ姫』より好き。テレビ版のコナンには負けるけど。



マネ −近代絵画の起源−
展覧会・府中市美術館(鑑賞 01年9月16日)

自宅からチャリンコで10分の府中市美術館。そこでマネをやってると聞けば行かざるを得まいと、出かけてきました。時間に制約の少ない美術展はいいですね。まあ、いつでも行けると思っているとなかなか行かなくて、結局最終日になってしまったのですが。

マネと言えば、一般的には『草上の昼食』であり、『オランピア』。ですが私は、彼の書く、なんでもない静物や、小さな人物画の方により魅力を感じるのだ。ちょっとした色使いなんかに、ハッとさせられるコトが多いです。個人的に日本での人気が(例えばルノアールなんかに比べると)低い気がして、もっとマネを見て知って欲しいなんてシロウトながら考えたりするぐらいでして。

で、今回展示されていた作品には、どうもその辺りを感じさせてくれるモノが少なくて、ちょっと食い足りない印象でした。展覧会の目玉は『笛を吹く少年』。この絵、確かにいい絵です。背景の微妙な濃淡のつけ方にマネを感じるし。ですが、個人的には……小作品を含めて、もっとマネを感じさせて欲しかった、というのが素直な感想でした。おそらくは集めた作品のチョイスの問題。これだけマネを揃えた府中市美術館の頑張りには拍手を送りますが。



きらきらひかる
TVドラマ・ビデオ(鑑賞 01年8月25日)
原作 郷田マモラ/脚本 井上由美子/出演 深津絵里 他

事実と解釈。事実と真実。例えば人里離れた山奥の、誰も知らない所で木が倒れたとしたら……その事実に意味はあるのか?
新米監察医が主人公。もの言わぬ死体を相手に、死体に残された僅かな痕跡を元に、そこで何が起こったのかを突き止めていく。誰も見てない所で倒れた木が、なぜ倒れたのかを調べに行く人々の物語。

近年のテレビドラマにしては珍しく、非常に丁寧に作られた作品。キャストの配置が絶妙。主立った5人には個性派を並べ、、脇役たちに、無名でもキチンと芝居の出来る人を起用している。結果として枝葉の細かいシーンが非常に生きていて、脚本の機能がキチンと伝わってくる。

昨今のドラマ界は、一にキャスト、二にショーアップ。シナリオ(物語)の優先順位は低くなる一方なので、こういうちゃんと脚本が生かされた作りの作品には非常に勇気づけられますね。もちろん、このドラマだってちゃんとショーアップされてるのですが(各回の冒頭とラストに入るレストランのシーンとかね)それが本編の内容を阻害するコトなくうまく挿入されている。お金のかけ方を含めて、こういうやり方があるのかと、ある意味『コロンブスの卵』的な発見でした。もう3年以上前の作品ですが、こういうコトをやれるディレクターさんやプロデューサーさんがいるなら、ドラマ界も捨てたモンじゃないです。

深津絵里に、脱帽。この人が演じる主人公は、ある意味、ダサいイモ姉ちゃん。「お前、医者がそこまでバカじゃまずいだろ」と突っ込みを入れたくなるような、単細胞な女。役者さんにとって、かっこわるく演じるコトってとても難しいのですが……なんと言うか『徹して』ましたね。本当にだっせー子に見える。衣装の選び方、メイクの方法まで含めて役柄をキチンと作っているから、ちゃんと『その辺にいる子』に見える。それでいて彼女の個性(例えば微妙な表情のつけ方なんか)は生かしている。多くの女優さんに観て欲しいです。



みんなの家
邦画・新宿文化シネマ(鑑賞 01年7月26日)
監督 三谷幸喜/出演 田中直樹 他

一軒の家を建てるにあたっての物語。結構地味な設定。でもこういう地味なコトをやらせてもらえる三谷幸喜って凄いですね。キャストは(主演はともかく)豪華絢爛。ちょい役にスターのてんこ盛り。

老大工(田中邦衛)と若いデザイナー(唐沢寿明)の対立。狭間で四苦八苦する夫婦。ストーリーも結構地味。だから思いっきり笑える映画を求めて劇場に走った人には期待外れだったかも。勿論、そこそこに笑わせてくれるし、ツボは押さえているのだけれど。むしろ淡々としたちょっといいハナシ的なモノを狙った感じでしたね。その狙いが、観客を満足させたかどうかは……大いに疑問。

私には、なんだか粗が目立った映画って印象でした。三谷先生にしてはエピソードがカッチリ組み上がっていかないのだ。例えば、唐沢クンが壁にペンキをぶちまけるシーン。意味不明。いや、もちろん深く考えれば分からなくもないですよ。でも、あれでは『アーチストとしての拘り』故の行動なのか、それとも『そういう拘り』に自嘲しての行動なのかが分からない。(どっちだと思いました?) 20畳の和室にしても、あれ、あの部屋があったからこそ最後に壊れた机を修理する場所があったって繋がりじゃ……なかったのかな? 対立していた大工とデザイナーが最後に和解するのも、なんかスピード感がないせいか出来レースに見えてしまうのです。

地味でもいいモノはいい。そう思わせて欲しいです。楽しめなかったのかと聞かれれば、そうでもなかったですよ。でも面白くはなかったです。少なくとも彼の芝居に比べれば。



小説家を見つけたらFINDING FORRESTER
アメリカ映画・新宿武蔵野館(鑑賞 01年4月10日)
監督 ガス・ヴァン・サント/主演 ショーン・コネリー、ロブ・ブラウン

こういう映画って、アメリカに時々ありますね。ゲージュツ映画じゃないんだけど、エンターテイメントにも徹してはいない。ショーアップされてない淡々としたストーリー。で、さりげにブンガク的な匂いのする……まあ、ある意味『人間』を描いた映画。ちょっと乱暴なジャンル分けだけど、例えば『恋愛小説家』とか、『スモーク』、古くは『フィールド・オブ・ドリームス』かな。爽快感を求めて劇場に走る人にはちょっと退屈かもしれませんが、私には『流れる時間がとても気持ちよい』作品でした。何より、キチンと作られてる映画って、疲れなくていいです。

ブロンクス出身の黒人少年(ロブ・ブラウン)が、ふとしたことから孤独で変わり者の老小説家(ショーン・コネリー)と知り合い、やがて二人に奇妙な友情が芽生えていく……てなストーリーです。(まだロードショー中ですから詳しくは割愛)
ショーン・コネリーはいいです。彼自身がプロデューサーを兼ねる程、作品に惚れ込んだんだそうで、ちょっと気合入りすぎと思わされる部分もありましたが、やっぱ味のある老俳優っていいですよね。結構微笑ましく笑わせてくれて厭味がない。(その意味でも『恋愛小説家』のジャック・ニコルソンとダブるんですが)
ただ、上記3作品に比べ若干完成度が低いかな、とも思いました。カット割りに幾つか『?』と思うところがあるのと、なんか脇役たちがうまく整理されてない気がしたのですが。2時間を越える作品ですから、もしかして無理やりカットされたシーンがあったのかな、と余計な詮索をしてしまいました。

それでも、観てソンはない作品だと思います。新宿・武蔵野館だと、今週の金曜日(4/13)までみたいですから、見逃したくない方は今すぐ映画館へどうぞ。



ありのすさび
エッセイ集・岩波書店(読了 01年4月3日)
佐藤正午著

『永遠の1/2』でデビューして、去年『ジャンプ』で再ブレイク(?)した佐藤正午のエッセイ集。佐世保在住のヒネた小説家の日常を赤裸々に綴った名エッセイ……なんてくくり方はこの本には似合わないので、興味のある方は読んでみて下さい。わりと軽く読めるし。

超マイペースで、ギャンブル好き。なんかこの人には妙にシンパシーを感じてしまうのです。私なんぞに感じられても佐藤さんは嬉しくないだろうけど。作中で語られる『自作の発想の仕方』なんぞには、共通点が多い気がしました。なんというか『題材への惹かれ方』なんかがね。私と共通しても佐藤さんは嬉しくないだろうけど。

本好きの方で、まだお読みでない方は『ジャンプ』や『Y』を先に読まれてからの方が興味深いかもしれません。ちなみに私の一番のオススメは、去年やっぱり岩波書店から出ている『君は誤解している』。短編集ですが、小説の面白さを再確認させてくれます。



月と六ペンス
小説・新潮文庫 (読了 01年3月30日)
W・サマーセット・モーム 著 /中野好夫 訳

天空の『月』に見惚れて、足元に落ちてる『6ペンス』に気づかないのは……愚かなコトなのか?

再々読。初読は高校2年、実に20年前のこと。再読は大学3年の時。今回、15年ぶりに紐解いたことになる。人は人生の折々に、ふと立ち戻り、何度も手にする書物がある。……なんて大げさなものでもないけどさ。でも、そういう本って、ありません?

小説は、ポール・ゴーギャンの伝記に着想を得て、イギリスのシニカルな小説家が書いた作品。よくゴーギャン伝と間違われるらしいけど、完全なフィクションです。
19世紀末、イギリスの平凡な株屋がある日突然、妻子を捨て、パリに出る。でまあ、極貧の暮らしと、非道の限りを尽くした人間関係を生き抜いて、ひたすら創造の世界に生きる……てなおはなし、ですね。

今回読み返してみて、そのあまりに分かりやすい構造に驚いた。もちろん小説ですからね、ちゃんと読者の興味を惹く筋立てをしてあるし、読み進めさせるテクニックは(少々あざとくても)うまい。あらゆるところに挿話が仕込んであって、その全てが一つのテーマにきちんと収斂されていく。でもね、その収斂のさせ方が、あまりにストレートで、かつ示唆に満ちていて(暗示ではなく明示だ)、今の小説を読み慣れた身には、少々くすぐったくなってしまうのです。ただし、……

例えば私が今、自分で何か書くにあたって、あえて『主題』というものを持ち出すとしたら……こういうコトになると思うのです。
人間、この矛盾に満ちた不思議なるもの。
……言葉にすると陳腐だなあ。でも、言葉に出来ないそれを、何かしらの物語にしてみたい気持ちは常々持っているのです。私もたまにはマジメなのだ。
で、そういう視点で見ると、この小説、果たして今でも少しも力を失っていないのです。示唆や教示は少々やぼったくても、モームの人間観察眼だけは、こりゃただモンじゃないです。時々、「ぅわーっ!」と思わされるのです。性善説だの性悪説だのの陳腐なモンじゃなく、人間、こんなモンかもしれないな、と。

人は人生の折々に、ふと立ち戻り、何度も手にする書物がある。
何度か時間を経た後に読み返し、それでも読む度に新しい発見があるとしたら……優れた書物とは、そういうものではあるまいか、と。……。以上、オヤジの主張でした。



ザ・エージェント
1997年アメリカ映画・ビデオ(鑑賞 01年3月27日)
監督 キャメロン・クロウ /主演 トム・クルーズ

今年始めに、『ワイルダーならどうする?』というビリーワイルダーの対談書を読んだのですが、その対談の相手がキャメロン・クロウ。で、観たコトなかったので観てみることにしました。スポーツ題材の映画なので、公開の時から少々気にはなってたし。

スポーツとは言っても、タイトルの通り選手の話ではなく、そのエージェントのお話です。サッカーの世界でも、ヨーロッパのリーグでは常に矢面に出てくる、あの人たちのコトですね。年俸交渉から移籍、その他あらゆることを選手に代わって球団(チーム)と交渉する方々。ま、あまりいいイメージでないコトの方が多いですが。発案というか、映画素材としての目のつけどころは面白い、と思うんですけどね。

映画は、たいしたモンじゃなかったです。
とにかく、分かりやすすぎる構造。分かりやす過ぎるサクセスストーリー。こういう映画は、別にお客さんも難しいコト求めてないので、楽しませてくれりゃそれでいいとは思うのですが……それにしても。
金にまみれた世界。その中で、ある種の『真摯さ』や『ピュアさ』を捨てきれない主人公。周囲からバカにされながらも、己の道を進み、艱難辛苦の末に、最後にはなぜか成功してしまう。……。確かに、単純でも、いいモノはいい。けれどせめて、その単純な構造くらいは、(観てる最中は)忘れさせてくれないと、ちょっとツラいです。少なくとも……ワイルダーならこうしない、と思うのですけどね。



カミーユ・クローデル
1988年フランス映画・BANDAIホームビデオ (鑑賞 01年3月24日)
監督 ブリュノ・ニュイッテン/主演 イザベル・アジャーニ

このところゲージュツづいている『しゅさい』。これも夏の二人芝居のため。普段ゲージュツに疎いお蔭で、慌ててお勉強するハメになっているのだ。こんなコトにならないためにも、常日頃のたゆまぬ努力が大切……って、自分で突っ込みを入れつつ反省。

映画は面白かった。近年のフランス映画にしては、分かりやすいし。
彫刻家にして、あのロダンの愛人(?)でもあった、カミーユ・クローデルの熾烈な人生を描いた作品。彫刻こそ天命と決めたカミーユは、ロダンにその才能を認められ、制作を手伝うようになる。やがてお決まりに、二人は愛し合うようになるのだが、ロダンには既に婦人がいた。いつまでも態度をはっきりさせないロダンに、カミーユはやがて精神を病んでいく……。

二人の才能ある芸術家、それが同時に『妻ある男』と『愛人』。うーん、どう考えても行き着く先のない関係だなぁ。人間の関係性というのは通常一筋繩ではないモノなのだけれど、おさまりどころのない『それ』はやっぱり悲劇を生んでしまうのね。後半、病んでいくカミーユを演ずるイザベル・アジャーニは、迫力。決して派手に狂ってみせてるワケじゃなく、なんかリアルなのだ。あっちの方はこういう演技、うまいよね。この人、決して全てがうまいワケじゃないのだけれど。
それにしても……

芸術家が『一線』を越えてしまうのは何故なんだろう? と、最近その方面を調べていてつくづく思うのだ。『一線』というのは男と女の一線ではなくて、精神的な『一線』のコトなのだけど。例えば天才の画家さんというのは、長生きするか、早死にするかのどっちかが非常に多いのね。で、多くの画家が30代半ばで、その岐路を迎えているのだ。ロートレックしかり、モジリアニしかり、そしてゴッホしかり。その年齢を、今まさに迎えている天才じゃない私は……うーんと唸るしかないのであった。



モンパルナスの灯
1958年フランス映画・東北新社ビデオ (鑑賞 01年3月19日)
監督 ジャック・ベッケル/主演 ジェラール・フィリップ

画家モジリアニの一生に材をとったレンアイ映画。
モジリアニのモテモテぶりに、ジェラール・フィリップが説得力をもたせている。悔しいけど、こいつモテそうだもんなぁ。(実際のモジリアニはもっといい男だったらしい)でも『薄倖の画家』の薄倖ぶりが当たり前すぎて、なんだか食い足りない。そんなにモテるならいいじゃん、絵が売れなくったって。って、そういう問題じゃないか。
役者ジェラール・フィリップの凄味は、モテモテぶりよりもむしろラスト近くのカフェで絵を売り歩くシーン。ここでの、しゃがれた低い声が非常にいい。それから……ひがむワケじゃないけど悪徳画商の人非人ぶりが喝采モノで、なんか良かったぞ。



没後100年 トゥールーズ=ロートレック展
展覧会・東武美術館 (鑑賞 01年3月4日)

ロートレックが描けば、ロートレックの絵になる。
当たり前のコトだけど、妙にそんな印象が残る展覧会。スタイルというヤツが、さりげなく、しかも脅迫的に迫ってくる。簡単なデッサン一つにしても、はっきりとロートレックなのだ。
頽廃の匂いが漂う、だけど居心地のよい空間。不思議と言えば不思議。

しかし、日本人がこんなにロートレックが好きだったとは……。入り口の脇から人ごみ人ごみ人ごみ。……。全然前に進まない。最終日に行ったのはやはり失敗だった。
気になったのは、作品がかかった壁の派手な色。鑑賞の邪魔になる。もうちょっとどうにかして欲しい。

作品的には至極満足な展覧会。『ムーラン=ルージュ、ラ・グーリュ』や、『ディヴァン・ジャポネ』が生で見られてご満悦。他には『象の行列』という鉛筆画が目に残った。いや本当にただ象が一列に並んでいるだけのシンプルなデッサンなんだけど妙にかわいくておかしい。アル中で寿命を縮めたロートレック。もしかしてピンクの象の語源かしらと、おバカな事を考えてみたりしたのでした。