タイムリミット テレビドラマ(鑑賞・6月25日) 林海象監督 出演 緒方拳、竹之内豊 他 ドライでないハードボイルド。 日本人には非常に好まれるジャンル。描かれるのは、何かに徹した男の生き様であるし、次々と待ち受ける困難に立ち向かうオトコの姿であるし、ストーリーを通じて生まれるオトコのユウジョウであったりする。 小説で言えば、何年か前に直木賞と乱歩賞をダブル受賞した藤原伊織「テロリストのパラソル」を思い出すし、映画で言えば、織田裕司の「ホワイトアウト」をこのジャンルに加えてもいい。ある種の人々に異様なまでのシンパシーを感じさせるモノらしい。 果たしてこのドラマ、非常に丁寧に創られているし、豪華で多彩なキャスト陣に支えられて、そんじょそこらの連ドラをへこますに十分な出来なのだけれど、それでも上記作品と同様の欠点を抱えているのだった。 まずはストーリーのご都合主義。 ハードボイルド故に、大事なのはそこに流れる空気。その物語が持っている匂い、みたいなモノに主眼が置かれる。故に、ああなってこうなってのストーリーラインがおいてけぼりになるきらいがあって、どうしてもワタシには気になってしまう。例えば、主人公二人を追い回す殺し屋(?)みたいなヤツの存在。何故にヤツが竹之内クンを追い回すのだか、全く意味不明。殺したいのであれば、最初に車に仕掛けた爆弾で十分だし、いたぶりたいのであれば、追い回し方が中途半端だろうと思う。なぜにこういうコトが起こるかと言えば、これはもう緒方拳(演ずる老刑事)と竹之内豊(演ずる爆弾オトコ)の間にユウジョウを芽生えさせたいからだ。そのための「障害」になるべく、あの殺し屋は存在している。そのためだけに作り手がこさえたジンブツ。まあ、作り手の立場に立てば気持ちは良く分かるのだけれど、そういうことを視聴者に分からせちゃいけないのだった。明らかにシナリオのエラー。 女性の描き方。 こういうハードボイルドモノってのは日本の場合、ほぼ確実に女性がステロタイプになる。宿命みたいなモノだ。こういう作品でリアルな女性を描く必要があるのかと言われれば、そりゃないんだけどさ。でも、それにしても。 そこに描かれているのは「理想の妻」であり「理想の娘」だ。叩き上げタイプの刑事の娘にしちゃお上品過ぎるのはまあいいとしても、お嬢様でもないのに「だわよ言葉」を使うのも目をつぶるにしても、京野ことみは可愛いから許すにしても、でも、それにしても。 描かれている女性に全く人間の匂いがしないのはいかがなものか。こういうお話を創るヒトってのは、もう頑固なくらい徹底的に女性を理想化する。気持ちはわからんでもないけどさ。オジさんが観たら「こういう娘が欲しい」てな女だ。オジさんはそういう女性が見たいモノなのだ。芯が強くて、でも弱いトコもあって、可愛くて、かつ、心の底ではお父さんが大好きな娘。分かりやす過ぎるぞ。いいのかこれで……と思っちゃうのはワタシだけ? とまあ、いろいろ文句はつけるのだけれど、結果、悪くないドラマでした。 非常に映画的な映像。コマ割りを含め、その映像化の技術にはほとんど文句がなかった。これは監督の力。 かつ、日本のドラマにしては異例なほどキャスティングに力を注いでいる。緒方拳や原田芳雄はもとより、脇役に石橋蓮司や佐野史郎が使われていてビックリ。竹之内豊は正直言ってかなり見直したです。いわゆる芝居のうまい役者さんじゃないけど存在に力がある。京野ことみも、ステロタイプに押し込まれたにしては善戦してたし。 まあ、テレビドラマって、ある意味「隙がある」方が楽しめるのかもね。ストーリーに隙がないモノって、実は観ててつかれたりしますから。観客が「おいおい嘘だろう」ってな突っ込みを入れながら観るのが正しい見方かもしれない。ただ、そんな作品の中にも良質なものとそうでないものはモチロンあるわけで、これはいろんな意味で良質でした。ちなみに「ホワイトアウト」はめっちゃつまんなかったけど。 生きるべきか死ぬべきか 映画・ビデオ(鑑賞5月18日) エルンスト・ルビッチ監督 出演 キャロル・ロンバート、ジャック・ベニー 他 メル・ブルックス版を観た後、思いがけず図書館のビデオライブラリにこれを見つけた。(原題は「TO BE OR NOT TO BE」。これ、メル・ブルックス版も同じ) 映画ファンの間では、どうやらこっちの方が評価が高いらしいです。ビリー・ワイルダーの師匠でもあったらしい巨匠ルビッチ作品。果たして…… 制作は1942年。まだナチスが猛威を振るっていた時代なワケで、(チャップリンの独裁者は1940年)アメリカが二次大戦に参戦する直前に作られ、参戦後に公開されたらしいです。つまりはバリバリの戦時下映画。で、思った通り、メル・ブルックス版に比べて「反戦」色の強い映画でした。フィルムが持つシーンの重みのせいか、「コメディ」と銘打つのはいかがなものかと思えるくらい。アイディアに溢れた喜劇なれど、その匂いはリアルな戦争下。むしろ味のある戦争映画に思えたくらいです。時々声を出して笑ったけど。 役者さんの演技も、まあ、ナチュラル。無理に笑いを取ろうとはしてなくて、その意味でもコメディっぽくはないです。ただし、事態の成り行きが殆ど説明されてないし、人物の行動の動機付けもなされてないせいか、初見の観客には分かりにくい部分も多々あるかと。(なんだかどこかのお芝居みたい……じゃないですか?)観客に優しくない映画ではあります。(時代ですかね)まあ、ワタシの場合は「メル・ブルックス版」を先に観ていたせいか、混乱せずには済みましたけど。 で、ワタシなりの結論は……凄いのはルビッチだけど、脚本はメル・ブルックス版の勝ち。まあ、先人のアイディアに磨きをかけたワケですから、当たり前と言えば当たり前なのですが、リメイクしてホンが良くなった例というのをワタシはあまり知らないです。その意味では、メル・ブルックスも偉い! 映画ファンがこっちを選ぶのは、分かりますね。圧倒的に品がいいもの。ただ、現代の観客で、特に映画大好き人間ではない人なら、素直に笑えるのはメル・ブルックスの方かもね。どっちを先に観たらいいかは……やはり、映画ファンならこっちが先、そうでもない方は「大脱走」を先に観られてはとおススメするかな。いずれにしても、両作品とも一観の価値アリですが。 おかしな二人2 映画・ビデオ(鑑賞5月14日) 脚本 ニール・サイモン 出演 ジャック・レモン、ウォルター・マッソー 他 名作・シチュエーション・コメディ「おかしな二人」の続編。一作目はニールサイモンの舞台作品を映画化したモノだが、これはどうやら初めから映画用に書き下ろした模様。 一作目の30年後の設定。 かつてアパートで同居していた「おかしな二人」の子供同士が結婚することになった。ロスの空港で再会し、レンタカーで結婚式が行われる町へと向かうのだが、そこに様々なトラブルが発生する……というようなお話です。ちょっとロード・ムービー的なつくり。 一作目に比べて笑いの質が、より映画的になっている印象。一作目は、舞台用の脚本を読んだ時はものすごく面白いと感じたのだけれど、(舞台劇はモチロン未見)映画になったモノは正直言ってもの足らなかった。比べて、映画としての面白さならこっちが上とも言える。ただ、スラップスティックな笑いよりは「人間のおかしてしまう行為そのものの面白さ」を得意とする人だから、この映画がコメディ映画として特別に優れているかは疑問。ニール・サイモンらしい言葉のくすぐりは健在のようだが、いかんせん、ワタシの英語力では微妙なおかしさまでは分からない。モチロン、それでも普通に面白い映画の水準は楽に超えているのだけれど。 メル・ブルックスの大脱走 映画・ビデオ(鑑賞5月5日) アラン・ジョンソン監督 出演 メル・ブルックス、アン・バンクロフト、他 1942年にルビッチが作った「生きるべきか死ぬべきか」のリメイク版。初見だが(原版も未見)、実に楽しく、笑えて、しかも良い映画だった。ワタシがイメージするところの「コメディ映画」というモノに最も近い作品かもしれない。 ナチの時代、二次大戦直前のポーランドが舞台。フレデリック(メル・ブルックス)は喜劇団の座長。祖国を侵略され、期せずしてナチへ反乱するコトになるのだが、その反乱の仕方が実にアイディアに溢れていて感心することしきり。メル・ブルックスにして、驚くほど原作に忠実……と言われる映画だから、おそらく原版・ルビッチの構成・アイディアを殆ど踏襲していると推測するが、カメラ割りといい役者の抑制の効いた演技といい、実に巧みにそのアイディアを視覚化しており、映画としての水準はきわめて高い。役者・制作者を問わず、コメディをやるモノ全てが観るべき映画。 メル・ブルックスの「変装」が見物。彼の扮するヒットラーは「独裁者」でチャップリンが演じるその人に驚くほど似ている。余談だが、バック・トゥー・ザ・フューチャーのドク(クリストファー・ロイド)が脇役で出ていて、やや大仰ながらも笑える演技を見せている。 翼よ!あれが巴里の灯だ 映画・ビデオ(鑑賞4月27日) ビリーワイルダー監督 出演 ジェームス・スチュアート 他 原題は「セント・ルイスの魂」(THE Spirit of St.Louis) 1927年に史上初めて大西洋無着陸横断飛行を達成したリンドバーグを描いた映画。 テイクオフまで1時間10分。 全体で2時間15分ほどの映画だから、実に半分以上をリンドバーグ(ジェームス・スチュアート)が旅立つまでの部分に費やしている。こういう史実映画の難しいところは、どういう順番でその成り行きを見せていくか……という部分だと思うのだが、ビリーワイルダーが実に巧みにパズルのピースを埋めていく。回想シーンの多用は、普通にやれば退屈なだけなのだけれど、この人にかかると魔術のようにカチッカチッっと時間のピースが埋まっていく。しかもユーモアたっぷりに。(出来上がった飛行機に犬が寄せ書きするシーンが笑える)説明し過ぎずし足らず。極力セリフに頼らず絵を見せて。まさに職人的手法の宝庫。 飛行機が、ただ大西洋を横断していく……その映像だけでは、当たり前だが映画になりにくい。船旅と違って撮る対象は多くないしね。それでも、リンドバーグの独白から、うまく回想シーンを重ねて、一つの偉業を浮かび上がらせる手法はお見事。結果は知っているのに(つまり、この旅が成功するコトは、視聴者はみんな知っているのに)それでもハラハラドキドキさせてくれちゃうのだった。 やがて、巴里の灯が見えてくる。 この邦題(翼よ……)は、なかなか気が利いてるよね。達成した瞬間はとりあえず感動的だ。そして、傍若無人なほどに、余韻も何もないエンディング。 ビリーワイルダーの映画を観る度に、こんちくしょうと思ってしまう。こういう映画と比較され得るくらいのモンを創らなきゃね。 エロを乞う人 「毛皮族」公演 パルテノン多摩小ホール(観劇・03年4月22日ソワレ) 「とにかくエッチ」「猥雑なパワーに満ち溢れた空間」 なんてコトを言ってキム木村が強引にワタシの分のチケットまで予約してしまったのだった。まあ現在日の出の勢いで、なにかと話題になってる劇団さんみたいだし、渡りに舟と、ワタシも出かけてきたワケです。エッチなのは嫌いじゃないし。(自分トコじゃ出来ないけど) 冒頭、「前説」と称して歌いまくる役者さんたち。 これが、あんまり意味ない上に長い。なんだかうまく乗れないままにお芝居に突入されてしまう。こういうお芝居でも、導入は難しい。 空間の使い方があまり上手じゃないなぁという印象を持った。広い小屋でやるのに慣れてらっしゃらないせいだろうか。時折客席に乱入したりしてましたが、その効果もいま一つ。(好き嫌いはともかく、乱入のインパクトであればハイレグ・ジーザスの方が全然上だし)あと、マイクを多用されていて、そのくぐもりのせいか、とにかく声が聞こえないのだった。言葉は意味不明の羅列でも、(であればなおのこと)物理的に聞き取れないのは大きなマイナスポイント。てなワケで前半はツラかったです。正直言って。 後半は結構楽しめました。 前半と何かが変わった……というワケではなく、まあ、ワタシの方に余裕が出てきたからでしょうね。初めての劇団さんはこういうコトがままある。観る方が楽しみ方を理解してしまえば後はラクちん。気がついたら流れる空気が気持ちよくカラダを通過し始め、気がついたらお芝居が終わってました。 観終わって、結構、芝居作りにアングラを意識されている印象を持った。このお芝居自体はモチロンアングラじゃないんだけれど、空気も歌も、どこかその匂いがする。後で聞いたハナシでは、寺山好きな人たちらしい。なるほどね。そう聞いて思い返してみると、お芝居の文法自体がちょっと似ているかも。これって結構すごいコトだと思うのだ。ずっとその道で生きてる方ならともかく、昨今、その文法で楽しめるお芝居を作れる人って少ないと思うから。毛皮族の人たちって若いハズなのになぁ。 で、期待してたほどエッチでも猥雑でもなかったし、噂の町田マリーちゃんの魅力もこのお芝居じゃもう一つ分からなかったのだけれど、もう一度観てみたいとは思いましたね。パル多摩みたいな広い空間よりは、それこそテントの方が合うんじゃないかな、こういうお芝居には。 東京ラブ・シネマ(第一話) フジテレビ・連ドラ(鑑賞・03年4月14日) 「ストーリーの大きな流れ」と、ディティール。 どっちかを優先する……ようなモノではなく、ドラマにとってのコインの裏表、なハズなのだが、たいていの日本のテレビドラマの場合、犠牲になるのはディティールの方。「小さな流れを追うばかりに本流を見誤るな」との日本人的感覚のせいか。でも、優れた創作家であれば誰でも知っているハズなのだ。主題とディティールは等価である……と。 大筋で楽しんで観られるドラマだった……にもかかわらず、このドラマの場合も(少なくとも一話の段階では)残念ながらディティールが大きな欠点となっている。 映画の配給会社が舞台。 フジ月9では異例の、20代でなく30代の男女が主人公。 「出会いという奇跡」というモノをテーマに、「誰にでもこんなことが起こり得るのだ」という幻想を視聴者に感じさせる恋愛ドラマ。 あくまで推測ですので、間違ってたらごめんなさい。このドラマの企画書なり、宣伝書なりに、並べられたであろう文句。で、それ自体は非常に悪くない、と思う。ワタシも、そんなドラマが観てみたい。(ここから先も推測)よって、その本流の方に、制作者たちは力を注ぐ。キャスティングもそうだし、全話を通じたプロット、シナリオの流れには細心の注意を払い、勢力をつぎ込んだことだろう。その結果…… ストーリーは、まず合格。食いつきはいいし、映画監督に、大手を蹴って弱小配給会社に決めさせる……という、いささか無理があると思われる一話の進行上のキモな出来事を、シナリオの腕力で、まあ、納得させてくれた。これは制作者の力。決め手となった「向かい風が強かったんだ」というセリフも映画っぽくて悪くない。凄い高視聴率、になるかはともかくとして、十分に今後の展開への期待も持たせる第一話だったのではないか。 にも、かかわらず、 疑問なのは、30代の描き方だ。「女は25歳がボーダーライン」というセリフや、30代独身であることが「非常な重荷」であるかのような描き方。これって失礼ながら10年以上も前のコンセプトではないのか。カルカチュアライズはともかく、財前直美の演じ方も、どうも一昔前の30代キャリア女性という枠をはみ出てなくて物足りない。現実の30代独身女性が、これを素直に受け入れるとは思えないのだ。作り手が、時代性を読み違えている印象。 さらに細かいシーンに粗が目立つ。特に女性同士の会話が奇妙なほど手垢の付いた表現にまみれている。脚本家は女性のハズなのに。 とまあ、ケチはつけながらも、久々に、この欄に書きたくなった連ドラであるコトは事実。しばらく見続けてみたいとは思った。余談ですが、一話の回想シーンで出てきたエピソード、「手帳に映画の券2枚を挟んだまま修理に出してしまった」女性、……実は晴子(財前直美)だったというオチではないかと想像するが、いかが? 風と雲と虹と(総集編・上下2巻) NHK大河ドラマ・ビデオ(鑑賞・4月13日) 現在、意味なくマイ・ブームの大河ドラマ・四本目。 平安朝、藤原氏の時代。主役は坂東の風雲児・平小次郎将門(加藤剛)。 放送は76年。ワタシは小学生でした。細かいシーンで結構記憶に残ってるところがあってビックリ。 どうもこの時代が題材なドラマって、文化的なモノのせいなのか、ある種の違和感を抱えてしまうことが多いのですが、(人間の行動様式というか、なぜここでこうするの?みたいなのがどうもピンと来ないってコトですが)こいつの場合は将門君という、大変分かりやすい主人公のキャラクターのお蔭で、観やすいドラマになっています。 ただし、京の愛人(?)貴子(吉永小百合)が、なぜ将門から貞盛に速攻鞍替えしたのかは最後まで分かりませんでした。この時代の人間模様に詳しいヒトならたちどころにピンと来るようなコトなのでしょうか。それとも総集編でなく全編観れば分かるのかしら。誰か教えてください。 坂東(関東地方)の反逆者として、最後は戦に破れ、散っていく将門。散り際の演出は古典的ですがいいです。上下2巻しかないのに、総集編としての出来は一番よかったかも。 草苅正雄の顔は日本人として反則。お公家スタイルの米倉斉加年は、似合いすぎてて怖い。(かなりいいです)緒方拳はうまいなぁ。この時いくつぐらいなのだろうか。存在感が圧倒的。 花神(総集編・1〜5巻) NHK大河ドラマ・ビデオ(鑑賞4月9日) 歴史を動かす三者。思想家、革命家、技術者。 幕末の長州藩。時の思想家は吉田松陰(篠田三郎)。革命家は高杉晋作(中村雅敏)。で、主人公は、その最後を受け持つ「技術者」、大村益次郎(中村梅之助)。 「花神」とは花咲かじいさんのコト。つまりは枯れ木に花を咲かせる人の物語。うーん、なかなか面白そうぢゃないですか。 放送は77年。ほぼ初見です。(何度かは観たかもしれないが覚えてはいませんでした)原作は司馬遼太郎。まあ、大河の常連原作なワケですが、この人の小説、読んだ人には分かると思うけど、やたらと「余談」が多いのですね。ついつい筆があちこち飛んで、ちっとも本編が進まない。それが魅力でもあり、まどろっこしくもあるワケです。で、果たしてこの大河、その通りの作り方をされておりました。 聞けば、この「花神」、過去のNHK大河の人気投票なんかがあると、必ず上位にランクインする作品だそうです。(ちなみにワタシは観てませんでしたが)おそらくは庶民受けする大河ドラマ。冒頭書いたような、この番組の軸となるべき骨太なドラマは、そんなにスポットを当てられてませんでした。主軸はむしろ、浪花節と色恋沙汰。なにかっちゃあ、泣く人々。なにかっちゃあ恋する人々。色恋は不要……とは言いませんが、そんなに大事かね? それより本編のドラマをもっと伝えてくれと言いたくなるなぁ。 てなワケで、ワタシ的にはあまり感心しませんでしたね。ドラマの出来不出来ではなく、あくまで好みの問題ですが。中村梅之助は悪くないし、「黄金の日々」や「獅子の時代」に比べて分かりやすく面白い大河ではありましたけど。 BARに灯ともる頃 映画・ ビデオ(鑑賞03年4月5日) イタリア映画。先に観た「イル・ボスティーノ」と同じ役者が主人公(マッシモ・トロイージ)と聞いて観ることにした。 父と息子の対立と和解。独りよがりな愛情を息子に注ぐ父親と、その愛情を持て余してしまう息子。よくありそうな設定だが、これがオープニングからエンディングまで、それのみで通してしまうからちょっと驚く。なんせ、全シーンの90パーセントが父と子のダイアローグだ。まるで二人芝居。 兵役のため、遠く離れた田舎町で一人暮らす息子(マッシモ・トロイージ)を訪ねてくる父。(マルチェロ・マストロヤンニ)再開の場面がオープニングで、同日の夜、父が帰る列車のコンパートメントがエンディング。二人は不器用に会話しながらレストランで食事をし、映画を観て、息子の恋人の家を訪ね、息子がよく行くBAR(バール)へ。ドラマは何も起こらない。しいて言えば、その間繰り返される父と子の会話のうねりがドラマ。ささいな諍いや、愛情の不器用さがリアル。 ただ受容すればよいエンターテイメントではないけれど、悪くない時間を過ごせる映画。結構おススメの一本。 阿佐田哲也麻雀小説自選集 小説 阿佐田哲也著 文春文庫(読了03年4月3日) 麻雀放浪記・青春編を含め、氏の麻雀モノの短編を集めた自選集。 麻雀放浪記を読むのは、実は初めて。なんだか勿体ない気がしていて今まで手をつけてなかったのだが、古本屋で見つけて思わず購入。読んでみることにした。 まず驚いたのは小説中に、麻雀牌活字(?)がホントに使われていること。(いや、当たり前だけど知らなかったのよ。そうじゃないと思い込んでいた)なんだか文学作品的なモノを想像してたのだが、実際に麻雀のゲーム(勝負?)の流れが、効果的に使われている。それがいちいち心憎くて、エンターテイメントとして上質。麻雀を知らなくても楽しめると思うが、知っていれば余計に楽しめる。数多ある麻雀漫画全ての原点と言ってもいいかも。 ただ、やはり面白いのは、バイニンと呼ばれる勝負師たちの個性豊かな人間模様。そして何より、筆者の分身とも言える(イコールではないらしいが)坊や哲の魅力か。 ミートザペアレンツ 映画・ビデオ(鑑賞03年4月2日) 出演 ロバート・デニーロ 他 結婚の許しをもらうために、彼女の両親に会いにいくお話。本当に、ただそれだけのお話なのだが、行ってみたらお父さん(デニーロ)が、CIAのスパイだった。嘘発見器を使って尋問されるは、泊まった部屋に隠しカメラを仕掛けられるはで、散々な目にあう主人公。なんとかお父さんに気に入られようと奮闘するのだが…… コメディらしいのだが、なんだか気持ち良く笑えない作品。主人公に感情移入していると、彼女の周囲の人間(お父さん含め)が、どうにも嫌な人間に思えてしまって不快感が募るのだ。笑いのネタはそれなりに仕組んであるのだが、表現方法がストレートパンチじゃなくて、デフォルメもしてないから、カッチリと決まらない。リアルと言えばリアルなのだが(周囲の人間の嫌なヤツ加減も含めて)すかっとしないから素直に笑えない。 半リアルな空気のコメディ。これ、ワタシが求めていることに近い気もする。ただし、この笑いのセンスはちょっと分からない。映画の笑いは、難しい。やっぱ寅さんの方が笑えるもの。 獅子の時代(総集編1〜5) NHK大河ドラマ・ビデオ(鑑賞・03年3月30日) で、大河ブームの第二弾。放送は80年。 実は昔の大河ドラマで一番好きな作品をあげろと言われたらこれになる。(次点は勝海舟)ラストシーンが、とにかく秀逸。 戦い、抗う男のお話。で、それを演じる菅原文太がいいのだ。で、これも驚いたのだけれど、脚本は山田太一。知らなかった。子供の頃は知らずに観ていた。 特異な大河ドラマ。そのことは当時も言われていたことをぼんやり覚えているし(こんなの大河じゃない、といった批判も多かったように覚えている)、総集編を観てもそれは明らか。最初の1巻(当時の放送で言えば2カ月分以上)は、特に何も起こらない。パリに幕府や薩摩の一行が博覧会参加のために出かけている設定なのだけれど、まるで旅番組のように、主役はパリの映像。 後半に入るにつれて、大河っぽいドラマも出てくるのだけれど、この構成(つうか、山田作品に多い、構成の「なさ」)はやはり異色大河。それでも最後には、それが銑次(菅原文太)の戦うドラマに収斂されていく手腕は見事。抗うオトコはとにかく魅力的だ。ラストシーンのナレーションに震えたのは、後にも先にも、これ一回限り。 「噂の銑次は、いつの銑次も、戦い、抗う銑次であった」 黄金の日々(総集編1〜3) NHK大河ドラマ・ビデオ(鑑賞・03年3月27〜29日) 現在、個人的に大河ドラマブーム。その火付けがこの作品。 放送されたのは78年。ワタシが中学生の頃。今回改めて見直して驚いたのだけれど、脚本が市川森一。 力のあるドラマ。考えてみれば大河は、今生き残った唯一(といってもいいか?)の通年連続ドラマ。45分弱の50回近い話数。やれることは多い。かつ、今ではどうか分からないけれども、当時は相当なステイタスを持っていたハズ。キャストが、とにかく豪華絢爛。 若き日の松本幸四郎(当時は市川染五郎)は、ちょっとあざとい演技が目立つ。なんだか今の松たか子に通じるモノがあるかも。 驚いたのは根津甚八。なんというか、ハンパじゃなくかっこいいのだ。まるでキムタク。で、キムタクにないワイルドさというか粗野な荒々しさもあり。芝居もかなり○。 川谷拓三は、当たり前だが川谷拓三。この人のお芝居は「それ、演技じゃないでしょ」と突っ込みたくなる。人の弱さ、情けなさを、まるで地のごとく演じる。いや、やっぱり演じてないとしか思えない顔を見せる。 若き日の近藤正臣もかなりいい。なんだか、20年前の宝の山を見せられた印象。 ただ、 やっぱり総集編は総集編。当たり前だがはしょった部分が多い。そこにこそ(ディティールにこそ)市川森一らしさは、より色濃く出るハズ。それがもっと見たかった。個人的に、初見で印象に残っていた、助左が青い瓦を秀吉に売りつけるシーンが削られていてがっかり。 キャラクター小説の作り方 本 大塚英志著 講談社現代新書(読了03年3月20日) 大塚の本は他を含めて初読。思っていたよりずっとリーダブルで読みやすかった。なんだか難しい思想家のようにイメージしていたのだった。実際は本人自身がかなりサブカルチャーな人。 小説の書き方読本的なモノとしては、かなり異色というか、この人の匂いが出ている。ハウツーモノとして優れている部分もあるが(解きかたが具体的、実践的なこと。例えば、キャラクターのパクり方とか、メモ帳を使ったプロットの立てかたとか)、それでも、これを読んだ人が小説書くのが上手くなるかは疑問。この手のモノを読めば読むほど思うのは、やっぱり小説は書ける人と書けない人がいる、ってコト。書けるんだけど、まだ書けない人が読めば、おそらく勉強になる。もともと書けない人は、これ読んでもおそらく書けない。ってコトは、他のハウツー本と大差ないってことか。人間の奥行きの深さ……これだけはやっぱりハウツー本読んでも変わらないのだった。(ちきしょー) ただ、大塚英志の魅力は、まあなんとなくは分かる。原作の漫画を読んでみようと思う。 少林サッカー 映画・ ビデオ(鑑賞03年3月17日) 香港映画。 ある意味、限りなくエンターテイメントに徹している映画。あきれるほどに勧善懲悪で、あきれるほどに、悪役は悪いヤツに徹している。なんというか、そうするコトに迷いがないのだ。昔の日本映画や漫画などもこうだった気がする。 奇異な部分も多い。例えばヒロインとなるべき女性の描き方。途中で変身するのが、なんだか意味不明。最後に、あの姿(少林寺スタイル)で出てくるための伏線と思えば分からなくもないが、やはりハリウッドや日本映画だと、ああはしないでしょう。こういう所に異文化を感じるのだった。 方向性としては、ジャッキーチェンであるし、昔の少年漫画(アストロ球団を思い出した)でもあるのだが、なにせ強くなるのが早いのだ。2時間半の映画だからだろうか。最初に人が集まるまでは異様に長いのだが、11人集まってからは、あっという間に強くなってしまう。いわゆる漫画で言うところの「インフレ現象」も異様に早い。特に苦労なく強くなってしまうし、閃きのように必殺技を編み出してしまう。そこに苦労はない。チームが強く成り始めてからの展開はジェットコースター。 アイディアに溢れた映画。 少林寺でサッカーをやらせる、その見せ方の(映像化の仕方の)アイディア、それから、伏線の張り方のアイディアは豊富。だからそれなりに許せてしまうし、楽しめなくもない。でも、これがものすごく楽しめたかと聞かれると、うーん、となってしまう。やっぱりワタシにとっては異文化映画なのだろう。西洋人が言うところの、「オリエンタル気分」に東洋人であるハズのワタシが浸されてしまった錯覚に陥ったのだった。 ハリー・ポッター 映画・ビデオ(鑑賞03年3月16日) 原作を先に読むか、映画を先に見るか。 この作品の場合は映画を先に見た。小説は未読。(買ってしまったのだが読んでいない)で、おそらく小説を先に読まなかったのが正解かな、と思った。ファンタジーは難しい。映像が想像力を超えるのは、ほとんど無理ではないのか。 エンターテイメントとしては食いたらない印象の作品。なんというか「目的」がハッキリしてないのだ。だから、ストーリーが一つの大きな流れになっていかない。最後の対決シーンもそれ故に盛り上がりに欠けるのだ。奇妙な魔法を使ったスポーツ(?)のシーンとか、バカでかいチェスのシーンの方にむしろ主眼が置かれている。映像化するのが難しいシーンをいかに映像化するかに、作り手の情熱が注がれている印象だ。ストーリーとしては、いささか不満。 ただ、流れゆく時間は悪くないから、それなりに退屈せずに見られてしまう。何の能動性も必要ない映画。だから、こういうのであれば、3時間の大作でもあまり苦にならずに見れちゃうだろうなと思った。ただ、受容していればそれでいい映画。それってやっぱり、実は難しいコトなのだ。 主役の男の子と、その友達はなかなかいい役者さん。女の子は疑問符。こういう役だからいいといえばいいのだが、言葉がセリフに聞こえる。(英語なのに)説明セリフが多いから子役には酷だとは思ったけど。 ウォーターボーイズ 映画・ビデオ(鑑賞03年3月15日) 矢口監督作品だが、なぜか周防作品に感じてしまう映画。予告編を見た時からそんなような印象を持っていた。題材の選び方だろうか。ちなみに……周防作品の常連キャストが目白押し。 導入の部分は少々難アリ。ディティールの甘い映画だなぁと思いながら見ていた。シーン割りとかの問題か。一つ一つのエピソード(例えば男子校に赴任してくる女教師に、シンクロを勧められるのだが、いきなり産休に入っちゃうとか)も、なんだかカッチリはまってなくて、見ていて居心地が悪い。ただ、ここを我慢すると後半はかなり面白くなるのが不思議。 シンプルなストーリー。いわゆる青春モノの必須アイテムは押さえてあって、(マドンナの存在とか、主人公の葛藤とかね)目新しさは特にない。ただ、それでもこの映画が、ある意味脚光を浴びた理由は、おそらく最後の「男のシンクロ」シーンの面白さ。おいおい、こいつらがいきなりこんなに上手くなっちゃっていいのかよ、という突っ込みはさて置いて、とりあえず映像的に楽しめる。ショーとして上出来。そこがキモなワケだから、翻って、ストーリーはシンプルでいいのであった。 静かな生活 映画・ ビデオ(鑑賞03年3月14日) 大江健三郎の同名私小説を伊丹十三が映画化したモノ。これがなかなか力のある作品だった。伊丹が凄いのか、大江が凄いのかは分からない。おそらく原作の持つパワーを、伊丹が分かりやすく戯画化し、「観客に優しい文学映画」にしている感触。 美しい魂と、醜い魂の対比。知恵遅れの青年の生活を描きながらも、一方では性や暴力をストレートにテーマにしている。そのコントラストが、なんというか、凄く伊丹的に分かりやすく映画化されていて、(例えば、映像に使われる明かり、音楽など。わかりやす過ぎるほど、美と醜を使い分けている)それが心地悪くも、おそらくは作り手の思惑通りに、心を動かされている自分がいたりするのだった。 原作を読んでみたくなる映画。伊丹はやはり天才。死んではならない人だったのだ。 イル・ポスティーノ 映画・ビデオ(鑑賞・03年3月13日) イタリアの小さな島を舞台に、そこを訪れた詩人と、島に住む一人の若者との交流を描いた映画。 丁寧に作られた映画だなぁと思って見ていたのだけれど、途中、何度か話の進みに飛躍があって、(例えば、「姪に近づいたら銃で撃ち殺す」と言ってたオバさんが、次のシーンでは結婚式で、何事もなかったかのように祝福してたり、とか)その感覚が、よく分からなかった。たんたんとしていて気持ちの悪くない映画なのだけれど、どうにも、うまく乗れない感覚。 熱いドラマではないから、無理やり盛り上げようとはしていなくて、そこは心地良いのだけど、どうも文法の違う言葉で映画を語られてしまったような印象を受けた。 ポスト・マン(イル・ポスティーノ)になる若者を演じた役者(マッシモ・トロイージ)は、なかなか良い。撮影中から病に犯されていて、クランクアップの直後に逝去したという伝説の俳優だというコトを後で知った。 「詩は、詩人のモノではない。それを必要としている人のモノだ」 |